某勉強会での記録メモ/中川達矢
 
昼と夜」という詩では、第一連・第二連は単に昼と夜の公園の光景が描かれている。ここでは、語り手としての私は姿を潜め、無人称的な語り手が存在するのだが、第三連になると「この昼と夜との入れ代りを/無頓着に書くのはわたしだ/ハテ わたしは何だらう」と、突如として語り手としての私が姿を現す。この詩において、第三連があるとないとでは大きく印象が異なる。第一連と第二連の情景を描くものとしての私は、昼と夜との入れ代りを描くものとしての語り手の私であり、詩を書くものとしての語り手の私が姿を現すことで、メタ構造的になる。第一連と第二連の世界を描いているのはわたしだ、と断定しておきながらも、「ハテ わたしは何だらう」と
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