赤黒い血飛沫のバラッド/ホロウ・シカエルボク
 
い返してみればはっきりとそう考えることが出来る、死亡する真夜中のヴィジョンはいつでも脳髄の中心で鮮度を維持している―だけどそれはくたばるための指針ではなくて、生を認識するための強力なヴィジョンであるということだ、ただそれだけのことだ…すっぱりと切り落とされた首の断面から吹きだす血の様な詩を綴ることが出来るだろうか?それはそのままひとつの死の記録になるのか?本物の心臓の代わりになる生贄として、正直な言葉の連なりというものは生まれてきたのだ、きっと…脆い窓は喧騒の侵入をいとも簡単に許してしまう、閉ざされた入口の前で悪態をつく郵便局員の声なんかも、痴話喧嘩で啜り泣きながら座り込む女の傲慢さも、半音フラッ
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