月夜の晩、私は、河原の葦になってクレーターをなぞり/ホロウ・シカエルボク
 
指先に触れないもののすべてが夢の中の出来事のようだ、夢なら俺自身には必要無いし、また向うの方でも俺のことを必要としたりなんかしない、アマンダは時々微笑んでいる、草臥れている俺のことが可笑しいのだ、時代遅れのコンポのトレイに乗っかってるのはジェファーソン・エアプレイン、テーブルで冷えたハーブティー、時々の窓の外で走り過ぎる車の音が聞こえる、セオリー通りで滑稽に感じるのだ、そこに精神性は存在するのだろうか?ある程度はあるかもしれない、シチュエーションにより引き出されるものは確かにあるだろう、だけどそれは言ってみれば受け売りのキャッチコピーみたいなもので、きっとそれ以上のどこかへ辿り着くことは出来ないだ
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