二つのソラリスについて/渡邉建志
 
mbers.aol.com/Satokimit/solaris.html)。事実、レムの小説と比べると、映画のSF的部分の説明は不十分だ。小説における(SFの"Science"の部分を担う)論理の緻密さが映画には消えている。そしてその緻密さこそが小説の長所だったわけである。そのかわり映画に現れてきたのが、詩、なのだと思う。タルコフスキーの体の中に刻印されている「記憶」を、主人公の記憶の中であらわそうとした。妻の記憶、母の記憶(原作には母については触れられていない!)。原作において、主人公は記憶に苛まれる。タルコフスキーは自身の記憶を掘り返して、彼の映画(この作品以外のものも)に
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