蛇口/時子
 
そう、ゴンという名前だった。
フサフサの毛が、習字の下ろし立ての筆の感触に似ていた。

でも、今日はあの犬がいない。
そして、今日はおじいさんの背中に蛇口がある。

「どうしたの?」と聞く前に、僕はおじいさんの丸い背中から生える蛇口を捻っていた。なんで背中から蛇口が生えているのか、どうして今日はゴンがいないのか。それよりも、僕は自分の喉の乾きに勝てなかった。
キュッ、と心地良い音がして、蛇口からジャーっと水が出た。足元に水飛沫が飛ぶ。
その水に口をつけようと、顔を近づけた時だった。

「ゴン……」

おじいさんの背中が小さく震え、僕はハッとして口を閉じた。
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