「悲しみ」についての考察?決定論を参考に?/中川達矢
も自らの過去(文脈)を振り返る作業であり、原因が特定できるような法則が用意されているわけではない。
そして、絶対的な原因ではなくとも、自分が了解できる原因を見つけた時、それを他者に物語ること(説明)ができる。
たとえ、悲しみの原因にあたるものが何となくわかっていても、了解することが必要になり(原因と結果の結びつけ)、それを物語ること(説明)によって、悲しみを克服できるのではないだろうか。
おまけ
「悲しい」という3文字に、悲しみはあるだろうか。
私の考えではあるとも言え、ないとも言える(後者に重きを置く)。
「悲しい」という言葉は、普段私たちの間で使われ、他者が「悲しい」と発す
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