「悲しみ」についての考察?決定論を参考に?/中川達矢
うに錯覚する。
そう、錯覚するのだ。
例えば、虫歯があるから歯がいたい。
これはいたって普通の説明だろう。
だが、私たちが普段、このことを了解するのは、歯がいたいという知覚(痛み)があってから、歯医者に行くなどして、もしくは経験的に、虫歯がある、という判断を下す。
歯がいたい→虫歯があることに気づく、のだが、虫歯がある→歯がいたい、という順番に置き換えることができる。
悲しみはどうだろうか。
少し感覚的になってしまうが、たいていの場合、悲しさは急にやってきたり、気づいたら悲しくなったりすることはないだろうか。
悲しみという結果が先にあり、その原因が何であるかを探す。
それも自
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