「悲しみ」についての考察?決定論を参考に?/中川達矢
られる)とは限らない。
それも特に悲しみにおいては、そう言える。
ある特定の法則、それも、万人が知っている法則を用いて、原因と結果を提示するのであれば、例え、どんな特異な結果であろうと、原因が万人にとって了解可能なものであれば、その物語りは、万人にとっても理解しうる。
だが、悲しみは、原因にしても結果にしても、実に個的である。
他者は、その他者の文脈を完全に共有することができず、言わば、物語る主体の文脈が物を言う。
また、物語るのは了解後であり、そのことによって原因→結果を提示できるのだが、この物語りを他者が聞いた際、あたかも、原因があって(事前)、結果が生まれた(事後)であるように
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