「悲しみ」についての考察?決定論を参考に?/中川達矢
了解する必要性がある。つまり、ここで、この文章の読者が、この文章に対して反感を抱くかどうかの分岐点がここにある。)
原因と結果を自分なりに了解したことで、その原因と結果は共に完結する。
その一つの形を纏うことによって、説明が可能になる。
つまり、他者に対して、ある出来事についての原因と結果を提示できるようになる。
この原因と結果の提示を物語ることだとする。
しかし、この原因と結果を物語ることにも難点がある。
物語る主体においては、結果が先にあってから原因を探り、それを、原因→結果として提示することが可能だが、その物語りを聞く者にとっては、その原因→結果の物語りを了解できる(信じられ
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