「悲しみ」についての考察?決定論を参考に?/中川達矢
 
きず、本当に落下するペンに対して、その法則が適用されているかどうかは、実証することができない。
だが、実証することができないにしても、概念的な法則が個別的な事例に適用しているのだと、「了解する」ということが重要になる。
言わば、正しいか正しくないか、ということより、信じられるか信じられないか、ということに重きがあるのではないだろうか。
(数学や物理が苦手な人は、こうした科学信仰なるものへの不信があるから苦手なんじゃないか…、という暴力的な私見。自然科学において法則は「ひとまず前提として」了解しなければならない。)

この「了解する」ことは、悲しみにおいても言えるだろう。
大事な物を失く
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