「生きる悲しみ」について/yamadahifumi
 
、疑わしいと、僕などは思う。・・・そう言えば、我々のほとんどはそんな事に思いを馳せた事はない、そんな事はどうでもいい、と言われても、そうした思いを僕は断ち切る事はできない。我々にとって、死という明らかな一事が先に控えている以上、それに逆照射する形で生もまた浮かび上がるからである。私達は自分達で考えているほどには「生きて」はいない。生という一つのオーラ、その波動を体感した人間はほとんどいない。誰もが、なんとなくその場をやりすごして、だらだらとその日を過ごしているにすぎない。・・我々は本物の歓喜も悲しみも体験した事がないから、小さな喜びと悲しみを人生の内の全感情として取り違えて、いい気になっているにす
[次のページ]
戻る   Point(0)