「生きる悲しみ」について/yamadahifumi
のだ。
自分の話になってしまったが、労働のさなかに周囲の人間を見ていて、それぞれどんな人間なのだろう?・・・と、よく観察する。おそらくは無意識に観察しているのだが、僕にとって見えるのは彼らの背後の像である。死というフィルターを越えた何か、そこに残る人間の影をおそらく、僕は見ようとしている。・・・すると、たまに、ロボットよりもロボットらしい人間や、単なる動物へと還ろうとする人間も散見される。そして、病理は病理を呼ぶから、異常者達が声高に別の異常を作り出している状態も、時代の流れの一つとしてはやはり存在している。
「生きる悲しみ」に思いを果たした事のない人が果たして本当に生きているかどうか、疑
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