2013-3-31/南条悦子
 
るぐると往ったり来たりを繰り返していたのだった。僕が行うべきは性を背景にすることではなく、内包することである。そうだから「生」は《》の中に繰り込まれて、結局の所僕の行為は無化されるのである。ほら。今まさにこの時も。例えば、僕は喫茶店に入り、予定を立てることにした。バラバラになっている断片的な知恵の輪を僕は栗金時ぜんざいを注文することで行おうとしたのだった。パンパンパン。頭の中に破裂音が聞こえる。パンパンパン。でも僕はまるっきり分からない。パンパンパンパンパンパン。白玉がぜんざいに興奮している。パンパンパン。白玉は数個、中くらいの大きさのもっちりして上品の味がする白玉粉を水で練ったものはぷかぷかと小
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