2013-3-31/南条悦子
 
ンティを卒論で論じた彼は学部から一点、心理臨床の道へ進むことになった。彼は臨床心理学の言葉で語るというのをその生涯の中で実践していたのであるが、今日の講義を持ってそれを踏破しようと試みるのである。「まだ肉の付いていない骨しか無いディスクールなのでありますが、これから語ろうとするのであります。」”緊張しています。水を飲みます。「なぜレヴィナスの精神病理学の言葉で語らなければならないのか?」これは前提である。村上先生に語りかける。「」妄想的

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レヴィナスの目指した所「他者を足らしめない」というのはレヴィナス視点から見れば超越論でもなんでもなく、彼固有の経験に大きく依拠するものであるというのは
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