2013-3-31/南条悦子
 
僕の大学で宮崎先生が示唆したテキスト、レヴィナス『全体性と無限』が俎上に上げられている。村上氏による「書評会資料」というものを配布され目を通してみると、”「女性」が「死につつあるもの」であるという定義、そこにおいて接触こそが関係であるという指摘が、本質的であると思われる” ん?...。”「逃れゆくもの」との関係としての官能を、(言語的あるいは非言語的)コミュニケーションなきコンタクトと読むことで、展望が開けてきた” なるほど。村上氏は男性なのである。男性視点から見てみれば確かに女性とは対角線を延長するを継続してみても、交わるはずが無い。そうした身体的制約をレヴィナスは「死」すなわち、虚構として捉え
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