ライブレッドの重さについて/いとう
たへ。
届けるべき「読者」を想定するのであれば、「投壜通信」という言葉はさほど抵抗なく受け入れられまいか。私自身は、野村喜和夫氏の魅力溢れる詩的表現だと思っている。
「ライブレッドの重さについて」。ライ麦パンの重さ。この詩はどこに届くのだろう。あなたへ? では、あなたのどこへ? そして「あなた」とは誰のこと? それは「私」のことかもしれない。不特定多数というのなら、それは「私たち」のことかもしれない。「あなた」と「私(たち)」はそのように、等価交換できるのかもしれない。
この詩の優れている点は、そのイメージの羽ばたきの奔放さと、それを言葉によって形にしている技術にあるのだけれ
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