ライブレッドの重さについて/いとう
けれど、それだけではなく、用いられている人称も気になってしまう。「人」「人々」「私」「私たち」。その使い分け、あるいは推移。流れの中の。季節の中の「私たち」の流れの中の。
投壜通信がすべての「あなた」へ向けられるものならば、それは確実に「私」にも届く。詩は、すべての「私」に向かい、届き、“「私」たち”は八月へ向かう。ライブレッドの重さを感じながら。
※ 詩学社から同名の詩集も出ています。
問い合わせはhttp://www7.ocn.ne.jp/〜shigaku/まで。
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