明日のこころだ/yo-yo
んな息遣いのようなものの中に、名人落語家の言葉は潜んでいるのだった。
それを詩や小説の言葉にしてしまったら、おそらく何も伝えることはできないだろう。たとえ伝えることができるとしても、何百何千という言葉を補足しなければならないだろう。
志ん生の語りは、話術というものの極意が術ではなくて、人間・人柄であることを、はっきり証明したものだという。
高座でただ座っているだけで客を笑わせることができる、といわれた人だ。やはり、人間がじかに伝えるものにはかなわない。
落語はシェイクスピアに匹敵するのではないか、と小沢昭一はいう。
ことば、ことば、ことば……
落語は言葉を伝える話芸であるけれど、と
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