イタコを許す雰囲気/瓜田タカヤ
 
さやきあう津軽人の生活というものは
そういう「何か」を見てしまう事を許してしまうのかもしれない。

また宗教じみた口寄せという行為に町の指導者は、
疑心を飲み込んでしまったのだろうか。

死体と交信する術をそのまま放置してしまった精神は
どこかで死者との交信を認めたがっている人々が多数いたためであろうか。

きっとその人々の願いは、宗教的な習わしの肯定や
オカルトへの興味本位のうなづきとは違い、もっとシンプルなものであったろう。

それは冷却からの逸脱だ。
寒いのだ。
寒いのが嫌なのだ。

誰かが誰かを暖めなければ死んでしまうのだ。

死人がイタコを通して話しか
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