川柳が好きだから俳句を読んでいる(1、野村満花城のこと)/黒川排除 (oldsoup)
と、あと一点は先ほど買った近代川柳の中にあった、プロレタリア川柳が主体となり夭折した鶴彬の作品に流れる詩情に突き動かされたからだけど、俳句的な態度というのはそういうものだろう、じぶんの雰囲気とじぶんのリズムを、意識的にでも無意識的にでもいいから提示すればいい、提示しときゃいいのである。もちろんこれは定形を否定するものではない、定形をやりたいひとを自由律の人間が責め立てる理由はどこにもないだろう、縛られてるほうが気持ちいいってことだってア〜ンあるんだからね、おれが言いたいのはその逆、自由律が定形を責め立てることがないように、定形が自由律を責め立てることがあってはならないということ、まあこれはこの文章
[次のページ]
[グループ]
戻る 編 削 Point(4)