ふたつの終焉/葉leaf
 
いということだ。裏庭ではユズリハの勝気なたたずまいと冗長な葉が風景の局部にささやかな表現を燈していた。街路では友人と会う約束をしたのだが遅れそうになって速足で歩く主婦が子供への愛情と夫への愛情を混ぜ込んでしまった。大使館では外交官が他国の外交官に向かって国家の意思をその舌と声帯の湿り気の中に腐敗させていった。そのようないくつもの、いくつもの絡まり、つまり社会システムは僕の何もかもを見通していたが、僕にとって社会とは常に背後であった。気配を感じる場所、悪寒を感じる場所、ふと手を添えられる場所であって僕の宇宙を超えていた。その背後に忍び寄ってきて悪口雑言の限りをつくす壊れたブリキのおもちゃがあり、僕が
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