【HHM参加作品】「荒地」/すみたに
徴表現の出現を予感させ、且つ、そのような方法的な次元にとどまらず、「荒地での春=燃え始める春をしらないこと」がいつぞやの不毛な言語現象を彼方へと押しやる力を感じさせる。
>私たちの乳母は未だに
>狼の群れの中で
>炎の晩をしているのだから
>私たちは出て行ける
>そして雨が、雷が
>私たちの荒地を打つでしょう、
>雨が止まる瞬間、
>私たちは待ちましょう、
>どこまでも長い時間の中で、
>どこまでも下っていく時間の中で、
未だ達せず許されない「外へ出てゆくこと」(未熟さ、プレリミナリティ)にある「私たち」は
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