木は孤独だろうか?/すみたに
らの信頼もある教師である――あの趣味的な男の人生も、「悦ばしき地蔵尊――宴も酣――」なんて演目を予定している劇団を仕切っているあの男の人生も、ここの公園のベンチで寝泊まりしているあの男の人生も、ありとあらゆる人生がさいころを振った結果だ。運良く風向きがあっていなければ碌な人生ではないだろう、しかしながら風向きが変わるまで待っているだけで碌な人生になる、あるいは碌な人生でも風向きが変わったらどうにもできない。ヘミングウェイの小説にもそう書いてあった。
彼女は私が歩き始めるのを見て歩き始めた。ところがもう次の瞬間には私を追い越している。そして振り返って時折私に話しかけるのだ。気温が下がったこと、空
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