ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
思っていたのだけれど、そう言う事は全部なしにしてしまいたいと思ったんだ。君と僕との中だからね。堅苦しい挨拶などなく、魂の部分で共有すべきものを重んじたいんだ。
それで、僕は毛結局、内在の表出=actual、外部の内在化=real、だと思う。その上で、ぼくは不幸と言うのは自分の内部にあっても、それは同一性の問題であると思うんだ。そして自己同一性はありながら不幸は外部のまま。それだからこそ受け入れられないものって言うのが、不幸なんだ。仮にactualに受け入れたとしても、それは不幸という物体との闘いの状態だと思うんだ。
自己憐憫というか、自己への温情として受け入れることは欺瞞だと思うしね。
ただ
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