ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
豊かさや幸福にも多様さがあるというもっともな話がよくされる。けれどトルストイが『アンナ・カレーリナ』でいったのは不幸の多様さだ。ゆたかさや幸福といったものは価値だ、価値観に従ったものを求めている。だからそれは記号で、記号はいくら消費されても飽き足らず、本当はいつか幻想と気付くことがある。だが不幸は常に現実で、そこにある物といえるのだ。
※とある書簡のやり取り
二〇一二年十月三日 名古屋
親愛なるK君へ
早速だけど、この間の君の手紙の質問に答えるとしたいけどいいかな。
この手紙を書き始めた時はね、色々と凝った挨拶を書いたり、最近あったことを書き連ねたりしようと思っ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)