ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
 
は不幸の連なりだ。つまり歴史は不条理の連なりだ。

     ※

シオランは言う。

自分の悩みや苦しみを、あるいはただの心配事を、誰か他の人に、友人にさえ語るのは、残酷なことだし、拷問者のする振る舞いだ。黙って苦しみに耐える、そういう態度を執るには、例外的な精神の強さをもっていなければならない。(『カイエ』)

シオランのこれなのだ。もし耐えるならこれなのだ。アランも『幸福論』で言っている。そして今の僕のこれらの呟き。それにしても現に物としてあるその多様体はどうやって救われるべきなのか。その多様体は「薬」あるいは「火器」としてそこにある。その多様体とは一体なんなのか。不幸は、一
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