ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
解放であり、悲劇はおおくのものたちの安息と幸福なのだ、不幸に向き合い創造と美を齎し、勇気と慈愛を醸し出し、けれど、かれは不幸を抱えたまま死んでいくのだ。英雄はきまって素晴らしい知性と武勲をもったものが選ばれる。それがなければ不幸になど向き合えないから。今はまだ悲劇とて、カタルシスを迎えていない。
すべて終末していなのだ。
僕は怖い。世界の沈黙時に声を上げることがなにを生むのか、それは正しいのに、それは不幸のままだということ、不幸は物語でなく現実において、終末をもたない。確固としたものだから。
僕は怒りを感じる。
怒りと恐怖の関係は感謝と謝罪と似ているが、それは贈与(幸せの指摘、異化)へ
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