ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
 
えない。三次元において葛藤は始まる。だから不幸は認識でない。

だから不幸は指摘されてはいけないのだ。
不幸に価値を与えるな、お前の現象へと貶めるな。

 善――これはしかし、本当のところもっとさりげないもののはず。それは真理や愛と同じく、そこにすでにあり、気付きつつも指摘しない、感謝のない(つまり感謝/申し訳なさのない)状況、確認し合わなくてもいい、その価値、感覚を外在化し、異化しなくてもいいもの。まるでつつみこみ、つなげている不可視のものであるべきなのだ。
 言葉もそうなのだ。圧政への言語による闘争。詩人への弾圧。市街での言語-民衆の抹殺。
奪われ消えていくこと、それは不幸への抗
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