ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
る。
人々は「4:33」なにを聞くのか。
不幸に対して何かしたいけれど、なぜ僕はこうもあほでこうも無力か。不幸はどれもあまりに大きい。それは単なる怪我でもない、本当は事故でもない、瞬間的な傷でない。それは治り得ない跡であり、歪みなんだ。地形をなでるように、子の額を撫でる。大地の不幸の記憶、前頭葉の不幸の予感。そうした強大な創造と時の進行を前にして僕は無能だ。それらは不可能なのだ。
ある空間領域、そこにおいてある物、それは存在の痕跡、記憶を収めた記号−−けれど不幸とは、現在であり、表象される物ではない、それはたしかな重みさえもっている。だから平面的にしか捉えられないと、不幸は見えな
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)