ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
 
まうから。
 だけど自覚できるのが本人だけだなんて、僕は申し訳なくて声が詰まってしまう。頭が惑乱してしまう。だから資本主義と民主主義の構造を憎む。

 つまり、正義の普遍主義と、善に対する価値観の多様性」「福祉」という法学経済学の問題というのはこの不幸への視座が欠けているが故の、失敗作なのだ。そしてあえて言えば、法を産む正義も、善を産む価値観も、それら具体的なものたちは、不幸としか言いようがない。不幸が記され、不幸が探しまわられ、不幸を視覚化するしかしていない。あるいは隠蔽しているのだ。

不幸の遍在(あるいは偏在)については、「薬」というものが決定的な視覚化を行う。目に見えなくても、な
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