ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
、
そして本質の裏返しとして。気付くかそうじゃないかの違いだと。
※
具体的施策をもって実際に動くことは大変なことなんだ、不幸というものに対しては特に。それが巨大であればあるほど。僕は痛感している。具体的な不幸、「薬」この精神との異物感、肉体を喪って行くような移ろい=虚。もちろんもっと激しい不幸や痛みもあるのはわかっている。見たことないだけで、まだ見ぬ具体的な不幸はあまりに多い。
不幸の普遍主義と多様性は、視覚的に存在するから、だからこそ、どうにかできそうなのに、いつも見損ねられてしまう。それはみな隠したいから、あるいは見せても仕方ないから、もっとひどいのは隠蔽されてしまう
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