ぼくは立派なあほでありたいが/すみたに
 
のうちにでも返事をしておく。
随分待たせてしまって申し訳なかった。

それで、幸福とは本質的存在(場合によっては形式的存在=(暴)力)だと思うんだ。
そして不幸とは具体的個別的存在だとね。

けれどそれは顛倒するんだ。

つまり不幸ばかりの人間にとって、というより不幸というものを抱える人間に対処する方法があるとすれば、それはある種の幸福なんだ。だけれども、その幸福というのはもはや不幸とコインの裏表で、そうした不幸とコインの裏表にある幸福が多くの人に与えられていることは多いと思うんだ。幸福は演繹体系でしょう、それで、よく君も言っているけれど、演繹体系はなんとでも操作を利かせてしまえる
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