伊達風人詩集『風の詩音』栞/葉leaf
応遮断する、そういう書き言葉で純粋に対象を探っていくことが伊達には必要だったのだ。理解して欲しいなどという欲望を一度捨て去る。相手の反論なども一度度外視する。自らの内面と対象との純粋で直接的な交渉において立ち昇ってくる言葉たちをどこまでも記していくということ。それによってのみ、伊達は対象と直接触れ合うことができた。
「水錘」「鼓舞器」などの意味の取りづらい詩は、彼が現代詩の詩法に毒されて書いたものというよりは、むしろ、それまでの対象との触れ合いをより精密に行おうとして書いたものと解釈するのが妥当だと思われる。例えば「生命線は羽のように編まれて」と言われても、言葉の受け手はどう返してよいかわから
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