伊達風人詩集『風の詩音』栞/葉leaf
すもの」にあるように、目に見えなくとも、耳に聞こえなくとも、言葉にならなくとも、ただ直接彼の精神を充満させるもの、それに到達するために、様々な言葉を費やす。自らとじかに触れ合うものも、意識や感覚や環境などの余分のノイズによってその直接性が失われている。その直接性を取り戻すために言葉を費やす。また、自らがいまだ感知していない存在にも直接触れようとしていく、そのために言葉を費やす。
そして、この対象と直接触れ合うための言葉は書き言葉でなければならなかった。対話が不可能な言葉、永続する言葉、話の流れなどには左右されない言葉でなければならなかった。つまり、言葉に対して余分な反応が返ってくることを一応遮
[次のページ]
戻る 編 削 Point(6)