【批評祭参加作品】偽善、または『紫苑の園』/佐々宝砂
 
だ」と言う人はいないけれども、こういった美しく小さく柔らかな芽は、吉屋信子というわずかな例外を除き、とうとう花開くことがなかった。それは踏みにじられたのだとおもう。戦争へと流れていった時代ゆえに、また、いつの時代にも訳知り顔で囁かれる「偽善」という言葉ゆえに。

 私はこの小文を感傷的に書きすぎているかもしれぬ。しかしたまにはよいではないか、私とてかつてはこういうものに憧れる少女だったのである。それなのに私はほとんどこういうものに触れることができなかったのだ。セックス・バイオレンス小説だの、猟奇小説だの、純文学だの、そんなものならいくらでも読むことができたのに。松田瓊子の名前は私にとって本当
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