通路としての文学/葉leaf
推定において、読者の抱えている潜在的な問題が投影されるからである。それは、文学作品を読むという行為が、読者の自己発掘作業である、というまさにそのことに由来する。
文学作品は、読者が、自らの抱えている問題の中を通過するための通路として機能しているのである。読者は、自らの抱えている問題を、文学作品を通過することによって、まず目撃する。目撃せず、文学作品を素通りすることもあるかもしれないが、幸運な読者は自分の問題を目撃することに成功する。目撃しても、それを「自らの」問題だとは思わないかもしれない。だがあるとき、幸運な読者はそれが自らの問題であると気づくだろう。そして、その段階を経て、さらに、真摯な読
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