通路としての文学/葉leaf
 
な読者であれば、その自らの問題に何らかのけじめをつける。あるいは、何度も同じ問題を目撃することで、徐々に自然に自らの律し方を変えていく。
 このようにして、文学作品は、読者が自らの問題を通過するための通路として機能する。例えば、作者の道徳的な諸問題を赤裸々に綴った作品があるとする。読者はその諸問題を読むにあたって、自らに照らし合わせた読み方をする。確かに自分にはこういうところもあったな、これはさすがに作者がひどすぎるだろう、などなど。読者は作品を読むことによって、例えば嘘をつくということがどういうことであるかについて考えを深めるかもしれない。作品との共同作業によって、嘘をつくということは自分を守るということである、などと閃くかもしれない。そのようにして、読者は作品を読むことで、作品に投影された自己をも読み、さらに、幸運であればそこに何らかの問題と解決の糸口を見出していく。

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