抒情性の彼方へ/葉leaf
自由詩というジャンルは、長い間、一人称の最後の砦として機能してきたと思われる。それは、小説よりも私的で、小説ほどの鍛錬も要らず、自由に思ったことを「私」の意識の赴くままに書いていく、そういうものとして機能してきた。言語というものがすでに一つの制度であったとしても、その組み合わせには個性が宿る。詩における思いがけない比喩の使用は、言語的な美を生み出す機能を果たすと同時に、詩人に固有の言語を生み出す機能も果たしてきた。だが、それゆえに、詩が、仮に「あなた」や「君」や「彼ら」や「それら」について語るとしても、それらの二人称や三人称が、一人称の中にたやすく包摂されてしまった。他者の問題や歴史や権力の問題
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