近代的詩性についての備忘/るか
難物なのであって、翻訳を通しては私はついにその作品が秘めている核心的な感動を汲み取ることはできなかったし、微細な語感の差異から言葉の詩的機能を嗅ぎ取ることが可能なほどに、私はフランス語をわがものとはなしえていない。ただ作品から平板な意味を汲むことができるだけであるが、このランボーの時代もある意味では第二次世界大戦という同時期に終焉したと言っていいように思う。
さて、戦後のある種のフレームにおける詩的追究が詩の外部でこそ可能になったし、そこでしか命脈を保てない、というイシューに話を戻すと、そこで私が出会った近代詩の戦後的形態が、フランス戦中戦後派による、いわゆる現代思想であり、映画だった。ドウ
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