近代的詩性についての備忘/るか
 
ドウルーズやデリダの思考はポエテイックに感じられていたし、実際、詩について彼らは相当、重要なモチーフとして扱っていたと考えても、そう大きな誤解とはいえまい。私は、彼らはその青年期におそらくランボーを読み、詩的なものの終焉をリアルタイムで感じ取り、それを思考によって受け継ぐというモチーフを彼らが世代的な共通了解として有していたのではなかろうかと思う。それは、芸術を党派性との関連のなかで、いかに救い出し確保するかという問題圏とも繋がってはいるのだが。エクリチュール概念もまたここに交差する。

そしてそのような、ジャンルとしての詩の外部において、近代的ポエジーを引き継いで言語表現を実現した作家として、たとえば中上健次がいたのではないかな、そんなふうに感じているのである。
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