松島やと猫語とパクリとボルヘスと/佐々宝砂
なわけではない。とはいえ、猫語というものの存在を明かした初期の文献であることは間違いない。猫は猫語を使うのである。そして猫は人間の想像以上にお喋りであって、だから雄猫ムルは自分の生涯を誰かさんの伝記の裏に綴ってしまうし、漱石の猫も名前がないままにいろいろと語ってしまうのだ。だが雄猫ムルも吾輩も、猫語を使って喋っているわけではない。これらの物語において、猫は、猫語ではなく人間の言葉で喋っている。しょせん、猫耳猫しっぽのない時代の文献に過ぎないのだ。
日本のカルチャーまたはサブカルチャーの世界に猫語が登場したのは1960年代後半ではないかと思うが、推測の域を出ない(というかてきとーに書いてみただ
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