世界との闘争ーーー詩についてーーー/yamadahifumi
いる限り、問題は吉増剛造の窮屈さと華やかさに還元されるように思える。
まど・みちおに関してはあまり読んでいないので、割愛する。
さて、僕は田村隆一の詩をきっかけにして、何を語りたかったのだろうか?・・・おそらく詩というものに触れたかったのだ。・・・だが、研究者達の考えるように詩というものは確固としてあるものではない。二十世紀最大の詩人といってもいいオーデンの詩を読めば、そこに見えてくるのは詩という本体ではなく、悪に怒り、恋人を愛し、安酒場で世界を憂えている一人の詩人の姿である。このバカ者ーーー天才は、詩という道具を使って世界に触れ、世界に語りかけるのである。
詩は道具である。目的ではな
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