世界との闘争ーーー詩についてーーー/yamadahifumi
 
というのは一種フリーダムである。田村のように、強い一本道をねばり強く歩いているという印象はない。その代わり、谷川俊太郎は風呂敷のように様々なものを覆う事ができる。それは自由自在で、様々な適正を持つ。だが、自由故の放埒、という危うい立場も谷川は常にその背後に抱えており、彼は詩人として、常にその危機を見ざるを得ない。だからこそ谷川は以下のように答えるのである。「・・・書くために/書かないでいることを学び・・・」
 吉増剛造は袋小路そのものである。彼は現代詩の極北であり、浅はかな危機感を持っている自称現代詩人達を彼はその詩で笑っているのである。現代詩・・・近代詩の延長としての、という考えに留まっている
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