タケイ・リエ小論/葉leaf
とに基づいている。さて、他人と共有されうる身体といった場合、そこでは、身体の「かけがえのなさ」「固有性」「唯一性」が放棄されていることが分かるだろう。
棒は必ずくるくると回りだすのよとわたしは言ったのに
あなたはわたしを回すためにゆっくり持ち上げてゆくか
ら天井を眺めるように空を眺めた遥かむかしにみた空と
現在の空の違いをおもっているからだがすでに折り畳ま
れて持ち運ぶためのわたしがつくられてゆく
「水脈」
「わたし」は絶対不可侵な神聖なものなどではない。それは、「あなた」が「持ち運ぶ」のに適したように変化させられてもかまわないのである。身体における他者との交
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