タケイ・リエ小論/葉leaf
 
の交渉において、他者が「わたし」の身体を支配できる以上、もはや身体の固有性などというものはタケイの頭にはない。
 ところで、視覚優位の近代的な自己同一的で連続的で統一的な自我というものは、自我の固有性・唯一性・かけがえのなさという思想と親和的である。一人一人がそれぞれ異なって共約不可能な視点を備えていて、しかもその視点は統一され強固なものであり、その視点の源に唯一無二の自我が君臨する。しかし、身体感覚優位のタケイの自我は、決してかけがえのないものではない。それはいつでも他人によって侵されうるし、いつでも他人のための自我になり得る。自我の固有性の神話は自我がその足場を意識ではなく身体に移すことで崩
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