タケイ・リエ小論/葉leaf
 
思惟の働きによって自らの在り方を統一的に認識したり、自意識による反省を加えたり、意志によって自らの行動や外界を導いていったり、そういう働きがあまり感じられないのである。タケイの詩にあるのは、統一されていないものが、特に反省されるわけでもなく、ただなんとなく無秩序に感覚されていくという心象に過ぎない。そしてこの不統一な心象は、「連打」という言葉に象徴されるように、とぎれとぎれに、明滅しながら、進むとも戻るともなく発光するのである。
 そして、この引用部において、詩の主体は「貝」になってしまっている。この「貝」は「貝である私」ではない。「私」とは異なるもの、「私」の同一性からはみ出るものとして、「貝
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