1994年5月1日/HAL
994年5月1日。きみはまだ34歳だった。ぼくは鈴鹿を5回訪れたが、きみは何の偶然かは分からないが観てるぼくの眼の前で殆ど周回を重ねることなく2回も教授とクラッシュしてレースを終えたね。しかし、予選でプラクティスで魅せてくれた走りは音速の貴公子と呼ぶに相応しい美しいものだった。でも、ぼくはその時、嫌な予感を覚えた。きみはコースで召されるのではないかと。予感は当たってしまった。きみにとってあの超高速のイモラのタンブレロの左コーナーは、イージーなコーナーであったはずだ。ミスなどするはずはない。愛するチーム・オーナーのフランク爺さんは、パワーステアリングのコラムが破損したかサスペンションの1本が折れたの
[次のページ]
戻る 編 削 Point(5)