辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大
せ、それゆえ詩史が保持するカテゴリー内に集束されかかった位置に守備位置をとっている。経験値が他流試合を経ることなしに和解を呼び込んだためとわたしは解釈する。その詩作品は、滅亡の予感に震える不安な光景の現出、顕在化であり、ある普遍性をめざして書かれているとも言えるし、自身の世界認識・宇宙認識上のデコンストラクション(脱構築)をめざして書かれていると言うこともできるだろう。いずれもひとつの側面を言い得ているということはいえるのではないだろうか。
内容はもちろん3.11東日本大震災による故郷喪失というショッキングな出来事を端緒としている。とはいえ詩作品が、決して皮相で道徳的、独善的で情緒的になり
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