辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大
なりがちな天災の「希釈された」報道言語的なものにはならなかった。いや、なりえなかった。なるはずがなかった。それは直截的で皮相な表現を回避しているとも言えたが、物事の深部に到達しうる者がとる手法を彼が熟知しているためだとも言えるのかもしれない。あまりにもあまりにも悲惨で凄惨だったあの天災で、目を背けたい心理が働くからではなく現代の詩は、限定的にことさら声高に言わなくても、ひとがひととして根源的である生死の境域を手探りしてきたし、ときに希望や夢や願いや祈りを語ってきた。だ、けれど、あの故郷の惨状と対峙してどう言葉で対処するかが辺見の課題だった。NHKのTV番組「こころの時代」で彼が語っていた3.11は
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