辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大
 
い苦い果汁がとてつもなく衝撃的で、それだけにいろいろな感想が頭に浮かんだ。これが詩であり詩集なのかという思いがその第一であったが、詩の形式を踏襲しているものの、主観者・主体者としての強者が書く詩の圧倒的な筆力は、皮相な思いつきに発した惰弱な現代詩群に対するアンチテーゼともなった。神話的、啓示的、あるいは読みようによればある禍の予感にふるえていた『詩文集 生首』をイントロダクションとするならば、静寂に満たされた事後の世界として詩集『眼の海』はあった。

 そのスタイルは、前詩集に比べればずいぶんと荒々しさが薄れ、大人しくなった感が否めない。無手勝流の自在な流儀から、詩が詩としての形式を洗練させ、
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